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日本人の知らない巻き寿司の歴史

新連載、『日本人の知らない巻き寿司の歴史』が始まります!初回は巻き寿司には欠かせない、海苔について。材料一つをとっても歴史を紐解いてみると本当に興味深いんです!今後も随時更新していきますので、お楽しみに。

海苔のはじまり

海苔は、どのように食されていたのでしょうか?日本語の「ノリ」ヌラ(ぬるぬるするの意)を語源としています。縄文・弥生時代の遺跡から、アラメ、ワカメ、ヒジキ、ホンダワラ等の海藻の一部が発見されていますので、その当時から、海苔も食していたと考えられています。

それは、岩についている もしくは海に浮いているのりで、手で救い上げる程度の採取方法であったと想像できます。生海苔、もしくは、干して汁などにして食されていたようです。

大和朝廷の時代、海苔が神話、神饌(供物)に取り上げられ、海苔市が出雲に出現。この頃、日本武尊が常陸国乗浜で海苔を干しているのを見たといわれています。

飛鳥時代には、遣隋・唐使により、海苔名、海苔の使用方法が伝わり、ノリの漢字が「紫菜」または「神仙菜」であることを知りました。これ以前、わたしたちの祖先が海苔に付けた最初の名は「アマノリ」

アマは、古代には天とか海を意味した言葉。日本で最初の法律書である大宝律令(701年)には、朝廷への調(現在の税金)として約30種類の海草類が挙げられており、そこに海苔の文献がはじめて登場します。

その海藻類のなかでも海苔は高級品だったといわれます。ただ、その当時でも、乾物にして収められており、いわゆる今で言うアオサのような形状の海苔であったようです。

海苔の季節は冬。湿気に弱く、乾燥のための手段がないため、海苔は冬の食物であったと言われています。ちなみに、東京 大森にある 海苔のふるさと館では、11月から海苔つけ体験ができます。

http://norinoyakata.web.fc2.com/

板海苔は、日本発祥の技術ですが、海苔自体は日本だけでなく、世界の沿岸部の地域で食されていたようです。特に面白いのは、イギリスのウェールズ地方で生海苔が食されています。アマノリのピュレとオートミールを混ぜてベーコンの脂で揚げたもので、Laverbread といいます。

ちなみに、韓国のキンパは、日露戦争(1904年~1905年)の際に、日本人が海苔巻きを広めたという説があります。

海苔の養殖を韓国で行い、板海苔の技術をここで広めたのだそうです。具はたくあんなど当時大阪の巻き寿司の具として巻かれていた物を主とし、酢がないので通常の白飯を巻いたのではないかと言われています。

日本人と寿司の
近くて遠い関係

フジヤマ、キモノ、スシ。これらは海外から見た日本文化のイメージだが、私は富士山に登ったことも、着物を着たこともないし、寿司も握れない。

海外へ行くと日本人なんだから寿司を握ってとリクエストされることがある。寿司は家庭料理ではないんだよ。と断るのは簡単だがなんとも居心地が悪い。そんな私も日本人。

ホームパーティーや、営業・社交ツールとしての活用から、自宅で体験レッスンを開いたり、寿司の技術があれば世界が広がります。

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