
校長・福江 誠より寿司職人を目指される方へ
おかげさまで開校9年目を迎えました。
こんにちは。東京すしアカデミー校長の福江 誠です。
東京すしアカデミーは、2002年の6月の開校以来、国内および世界中の寿司業界関係者や寿司店オーナーの皆様、何より社会人を中心とした多くの受講生からご支持をいただいてここまでやって参りました。
私の寿司学校の設立に共感して下さり、東京・巣鴨の寿司店『蛇の目寿司』を最初の教室として使用させて下さった山崎博明氏(全国すし商組合の寿司技術の最高責任者)をはじめ、私のパートナーである講師の皆さん、何より1000名を超える受講生、卒業生の皆さんに改めて感謝いたします。
また、以上の大きな感謝と同時に、当初より目指していた寿司業界と職人志望者の『架け橋』にもようやくなれたかな、とも自負しております。
新しい寿司職人養成の在り方を提示したい
古くからあった徒弟制度的な寿司修行とは一味違う、練りに練られたカリキュラムによる本格的な寿司職人養成を行う・・・これが開校当初より変わることのない、東京すしアカデミーの信念です。
もちろん、調理現場における長い修行を真っ向から否定するものではありません。長い修行によって得られた確かな技術や感性、そして美学が、日本の寿司文化を支えてきたことは承知しています。
また、他ならぬ当校の実習講師陣も、みな20年から50年以上という実に長い修行を経て身につけた調理技術を受講生に伝えています。
日本の寿司文化を守りたい
さて、当校を立ち上げる決定的な動機となったのは、寿司店コンサルタントとして海外の寿司レストランや寿司バーを視察し続けた経験によるものでした。
2000年以後の世界的な寿司ブームを受けて、ニューヨーク、パリ、ロンドンといった大都市には、次々と新しい寿司店が誕生していました。しかし当時、そうした海外の寿司店で振舞われている寿司のほとんどは、日本でそれを寿司といったらお叱りを受けてしまうような、いわゆる「見よう見まね」の商品ばかりでした。どうしてこういった事態になってしまったのか。理由は単純でした。寿司の本場・日本で修行した寿司職人が海外にはほとんど誰もいなかったからです。
その時に、このままではいけないと思いました。誰かが日本の正当な寿司技術をきちんと世界に発信しなくては、寿司文化そのものが見よう見まねの悪貨に駆逐されてしまう‥‥日本の一流寿司職人たちと共に、正当な寿司の技術を伝える活動をしなくてはいけないと強く思ったのです。
やる気のある社会人に本質を伝える学校を目指して
海外に寿司職人が足りない理由は、国内の寿司業界を眺めると実に明白でした。18 歳前後の日本の若者たちの間で、寿司職人という職業の人気が想像以上に低くなっていたのです。2002年の開校前の時点で、すでに日本の若者たちにとって寿司とは回転寿司のことを指していました。
実際、高校を卒業したばかりの若い寿司職人と社内研修の場で話していても、どうも一人前の寿司屋になりたいという情熱が伝わって こないことも少ないありませんでした。すぐに辞めてしまう人も多かったのです。
一方、同じ新人さんであっても、目がキラキラと輝いている人たちがいました。それは誰あろう、一度サラリーマンを経験した後に改めて寿司業界へと飛び込んできた社会人の人たちだったのです。
私が寿司学校を立ち上げる上で「まずは彼らのようにやる気ある社会人の力になろう!」と思ったのはこの時でした。すでに十分な人生経験を積み、接客上の作法も心得た社会人の人たちであれば、あとは実践の技術をみっちりと伝えるだけでカウンターに立てる。そう確信しました。
そうして2002年6月に開校へとこぎつけたのが、東京すしアカデミーです。
世界的寿司ブームをリードする学校へ
当校の卒業生が世界中に雄飛し、日本の寿司文化の継承と発展をリードする日が来ることを夢見て、私をはじめスタッフ一同、今後も進化を続けて参ります。寿司は必ずや、あなたの人生をさらに可能性あるものにしてくれるはずです。
その技術を短期間で集中的に学ぶ、 新しいスキルを身につけるというのは大変なことだと思います。だからこそ当校では、真剣に学びたいという方だけに入学して頂きたいのです。
開校以来一貫して少人数制のマンツーマンのスタイルを続けて参りました。講師も真剣にあなたの夢に答えるためのお手伝いをします。将来の海外雄飛や独立開業を夢とする限り、スタートの年齢はまったく関係ありません。
卒業生のほとんどの方から「東京すしアカデミーに来て本当によかった」と、言って頂いています。 是非、2009年度よりリニューアルされた東京・新宿の教室に授業の見学にいらっしゃってください。
スタッフ一同、心よりお待ちしています。
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東京すしアカデミー 校長
福江 誠 Fukue Makoto
東京すしアカデミー校長
東京すしアカデミー本科校長
東京すしアカデミー(株)代表取締役
JSIA寿司インストラクター協会理事長
1967年、富山県小矢部市に生まれる。金沢大学卒業後、(株)TKCに勤務。
1995年、寿司業界の経営指導の草分け的な経営コンサルタント渡辺英幸先生のもとに弟子入り。5年間の勤務コンサルタントを経て、2000年1月個人コンサルタント事務所を設立。東京の超繁盛店「梅ヶ丘寿司の美登利」「神田江戸っ子寿司」をはじめ、数々の寿司店の経営指導にあたる。
2002年6月、日本で初となる寿司専門スクール「東京すしアカデミー」を設立し、校長に就任。
寿司シェフコース(1年制)やディプロマコース(2ヶ月)などのプロ育成コースの卒業生は、開校以来1000名を超え、その多くは世界50カ国以上の国々で日本料理レストランの経営者や料理長として活躍している。
また、飾り巻き寿司の技能認定検定機関でもある寿司インストラクター協会理事長を兼務し、寿司インストラクターの育成を通じ、食育活動や国際的な食文化交流を推進している。
直営の寿司店として「まこと寿し西新宿本店」「誠寿司神楽坂店」(2011年12月開店)では、東京すしアカデミーの在校生、卒業生が中心となって運営するユニークでかつ本格的な寿司店を経営。
著書に「日本人が知らない世界のすし」日本経済新聞出版社刊(2010年)
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主任講師・川澄 健より寿司職人を目指される方へ
寿司職人は新しい時代になってきました。
私が江戸前寿司や新しい寿司を作ったり教えたりするたびに、あらためて昔の寿司職人さんたちは色々考えて寿司を作ってきたんだな~と思うときがたくさんあります。
冷蔵庫の無い時代、いかに鮮度を保って魚を保存できるか、材料に合わせてどうやって美味しく食べられるかの技術を寿司職人たちは試行錯誤してあみ出しました、この調理技術は今の時代でも立派に通用しています。
外国のように魚の鮮度や調理場の環境などで新鮮なものを常時提供できない場合、なま物が苦手な外国人の方達などにも、江戸前寿司の「酢や醤油に漬ける、煮る、焼く」などの保存の利く仕事が役にたってくると思います。
寿司は今世界中で食べられていますが、最近は寿司とはいえないようなものまで寿司と称して売られているようです。創作寿司も美しくて華やかですが、寿司の基本があっての創作寿司であってほしいと思います。
寿司アカデミーの講座の中で江戸前寿司の歴史や江戸前の仕事なども教えます、そうすると何気なく普段寿司屋で食べている時の寿司職人の仕事ぶりや道具、食べ方、名称などが寿司屋の歴史と共にあり、いまだに使われていることに気づきますよ。
この歴史のある寿司を覚えるのはまず無理だと思う人も沢山いるでしょうけども、当校の生徒さんには包丁など持ったことも無い、魚の名前もも知らないなど、寿司に関してはほとんど素人の人たちもたくさん来ています。
プロ講座の場合ですが、最初は思うように動かない指先も2週間を過ぎる頃には寿司職人のように他の事を考えていても指先が勝手に動くようになります。しかし形の良い握り寿司を作るにはさらに数を握って練習して行かなければなりません、調理の現場では形良く、早く、美味しそうに作らなければいけませんが、これは数をこなせば次第に上達してゆくことです。当校は一番肝心な寿司の基本と衛生管理、皆さんが寿司を扱う業界に入って行く時の自信をつける場所です、少しでも興味のある方はぜひ遠慮なく授業を見学に来て下さい 。
私が寿司職人になったきっかけとは?
まず私が寿司を大好きになったのは今から35年位前に兄貴の寿司屋を手伝った頃からでしょうか、それまで私の寿司屋さんのイメージというのは怖そうな板前さんがいるネタケースのカウンターで大人達が酒を飲みながら食事をしているという、自分とは縁の無い世界でした。
しかし私が中学生の頃に寿司職人だった兄貴が寿司屋を開店したときから徐々に身近なものになりました。休日には出前持ちのアルバイトに行き、ヒマな時はネタケースの前に陣取り、きれいに魚が並んでいるネタケースを眺めながら贅沢な気分になっていたものです。
当時、私は磯釣りや防波堤釣りが好きになり始めた頃で釣り魚図鑑を見ては魚を覚え新聞の釣果を毎日チェックするのが日課のようになってました、これが今思えば寿司屋になるきっかけになったような気がします。
それまでは10歳以上年上の兄貴とはあまりまともに話などしたことは無く、酒を飲むとちょっかいを出してくるような、今流に言えばウザイ兄貴でしたが、私が釣りを好きになった事と寿司屋を開店したことで酒飲みのうるさい兄貴が、魚に詳しい友達のように変わってゆきました。
店のカウンターに座り切りいろいろなネタを指しては「これ何て魚?」「どこで釣れる?」「いつが旨い?」 そんな私のいろんな質問に即座にちゃんと説明付きで答えてくれました。そんな兄貴が、いつのまにか私の中で魚の大師匠になっていたのです。
私は寿司屋に入る前は祖父が宮大工だったこともあり、大工さんになって大きな寺を建てるような棟梁になりたいと思っていました。でもこの寿司屋で手伝った時に魚の種類を覚え寿司の旨さも覚えました。その頃から自分の希望の仕事が 大工さんから徐々に寿司職人になりたいと変わっていったのを今でもはっきりと覚えています。
この時の私の気持ちの変わり方は当校で講座を学んでゆく時の生徒さんの気持ちの変化に良く似ていると思います。
当校にこられる生徒さんもいろいろで、寿司よりも魚のさばきを覚えたい人、食べるのが好きだから来た人、ワーキングホリデーなど海外で働くための手段として来た人などさまざまな動機でこられます。
プロ講座の場合はその皆さんが 3 週間の授業の中で魚の名称、魚の味、さばき方を覚え、その次に自分で下ろした魚を握る楽しさを覚え、寿司の味を覚え、何回も何回も繰り返し練習してゆくうちに、寿司を作っているのが楽しくなっていく人が多くなります。
そうして次は「ちゃんと握れた自分の寿司を誰かに食べさせてあげたい!」と思うようになっていくそうです。
私はそういう気持ちになってくれた生徒さん達にこう言います「寿司職人のようにあざやかな手さばきでなくてもいいんです、少し下手でもいいんですよ、旨い寿司を作るコツ、はまず自分が魚を好きになること、寿司を好きになることだと思います!」 この気持ちが一番大事ではないでしょうか。
作っている自分が楽しければ、嬉しければ、その気持ちは必ずお客様にも伝わると信じています。私もアカデミーに来た皆さんを、さらに寿司好き、魚好きにさせてあげられるように頑張りますので、皆さんぜひこの東京すしアカデミーで日本の誇れる食文化、寿司技術を覚えて下さい。
私を含め寿司アカデミースタッフ一同、皆様のお手伝いができれば幸いです。
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東京すしアカデミー 主任講師
川澄 健 Kawasumi Ken
1956年神奈川県鎌倉市の海岸ぞいに生まれ、中学卒業後に東京の寿司店 で修行をはじめる。1978年、神奈川県藤沢市の寿司店に入店。1993年、TVチャンピオン【全国寿司職人握り技選手権】に出場し、第3回、4回を連覇。
飾り巻き寿司の分野においては右に出るものはないほどの存在。海外でも著書は英語版で発売されており、日本の寿司文化を世界に紹介する伝道師的存在として外国人にも広く知られている。江戸前寿司の技術にももちろん定評があり、いろいろな江戸前の古い仕事を受講生達と教室で研究中。釣りが趣味。
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